第11回大阪資料・古典籍室1小展示 平成9年6月1日〜6月29日 |
組み立ておもちゃ立版古(たてばんこ) |
プラスチックモデル作りは人気のある遊びのひとつだが、幕末から大正中頃にかけて、和紙で摺られたパーツを切り抜き立体的に組み立てる”立版古”という遊びが流行した。 これは、夏の遊びで、仕上がった作品は、夕涼みの軒先の床机などに豆ランプや蝋燭を点して飾られ、子供に限らず大人もおおいにその出来映えを競い楽しんだ。 ”立版古”という呼び名は、上方での俗称で、正式名称は「切組灯籠」「組上げ灯籠」といい、「組上げ」「組上げ絵」ともいわれる。”立版古”という言葉は、江戸時代に錦絵や摺物など木版印刷物のことを、はんこう(版行、板行)と呼んだことに由来するらしい。 ”立版古”の起源は、孟蘭盆会の供養の灯籠にある。室町時代頃、御所や大寺院なとでお盆に紙細工の灯籠が飾られたが、これが次第に庶民の間に広まり、江戸時代中期頃に上方で玩具化したといわれる。 ”立版古”は一枚摺りの浮世絵版画(錦絵)であり、おもちゃ絵のひとつである。歌麿や写楽が描く鑑賞用の浮世絵とは異なり、双六や物尽くし絵などと同様に消耗される実用むけ版画であるため、かなりの数が出版されたと推測されるにもかかわらず、現存するものは少なく、あまり評価もされてこなかった。 立版古作者は、絵師としての腕前だけでなく、限られた紙面の中に要領よく各部分を割り付ける科学的な発想力も必要であった。『武江年表』寛政12年の記事に、寛政・享和の頃には北尾政美や葛飾北斎が、文化には歌川国長、豊久が多くの作品を描いたとある。 大阪では、幕末期に中島芳梅と初代長谷川貞信 (1848-1940)が活躍し、明治14、5年にかけて長谷川貞信 (二世 1809-1879)が活躍した。彼は、約200種ほどの作品を作ったといわれる。その多くは当時の庶民の最高の娯楽であった歌舞伎狂言に題材を取った芝居物であるが、いち早く文明開化の風物も立版古に取り入れた。 大阪の立版古は明治15年頃が最盛期で、以後いったん新版の発行が途絶えた。明治27年の日清戦争頃に再び新版が発行されたが、木版技術の衰退に伴い、次第に新版の発行は休止していった。以後、大阪では大正になっても遊ばれていたが、子供の遊びの多様化や、出版文化の変化により急速に忘れ去られていった。 大阪の立版古には大判(33cm×24cm)と細版(33cm×15cm)があり、1枚から数枚組で出来るものが多かったが、1組10枚以上の大作ものもかなり発行されていたようだ。錦絵の色が滲まないように注意して和紙で裏打ちし、ハサミや小刀で切り取って、簡単に描かれただけのことが多い完成図を参考にして組立ていく。
《展示作品》
《参考文献》
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