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第85回小展示(大阪資料・古典籍課)
平成20年7月11日(金)〜9月10日(水)  (入場無料)

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シリーズ 観光の大阪展
−旅行案内書[ガイドブック]に見る大坂 大阪 OSAKA−

第2回  近世大坂の旅

 

慶長20(1615)年に大坂夏の陣が豊臣方の敗北に終わり、徳川幕府による統治が安定してきました。これまでの戦乱の世から平和な世に変わるなかで、庶民たちの商用や物見遊山の旅が始まります。近世にはきわめて大勢の人々が旅行を経験した、といわれています。

 当初の旅では社寺などへの参詣が中心でしたが、時を経るにしたがって、参詣は旅に出かける建前となり、娯楽性を帯びていきます。現在のように自動車や鉄道もなく、封建制の下で土地に縛られ気軽に旅行に出かけられない時代でしたので、人々は目的地だけでなく、その道中のすべてを旅の楽しみとしました。

 近世後期には旅の道しるべとなる道中記、旅行案内書(ガイドブック)である独案内や良質の宿のリスト「浪花講」などが刊行されます。

 そこで、今回の小展示では、これら旅の資料をご紹介します。近世大坂の旅の姿を垣間見ていただければ幸いです。 


             

浪花講 1 燈籠講 神宮教会神風講社定宿(550-48)
2 浪花講(550-26)
3 浪花講 吉野より大峰山天の川之金剛山参り(550-28)
4 浪花講 いせ道中記(550-22)
5 浪花講定宿帳(550-34) 秋田屋太右衛門ほか  文久2(1862)年
6 大坂浪花講(378-1034)
 

  

 江戸後期に庶民の旅が盛んになり、街道筋の宿も増えていきました。しかし一方で、安心して泊まれる宿を探すのに苦労したため、現在と同様に宿泊案内に関する資料が多く刊行されました。
 大坂玉造、松屋甚四郎の手代源助は、諸国を行商していたことから、誰もが安心して泊まれる宿の組合をつくることを思い立ちます。文化元(1804)年に宿の組合である「浪花組」を結成します(天保12(1841)年に「浪花講」に名称を変更します)。講元は松屋甚四郎。源助は発起人となり三都にそれぞれ世話人を置きました。
 やがて、全国の街道筋の優良な宿を指定し、加盟宿には目印の看板をかけさせました。
 また、道中記や定宿帳を刊行し、宿と道中を見て楽しめる旅の案内書も現れます。
 参照:第43回 大阪資料・古典籍室1小展示「浪花講定宿帳と道中記」
     http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/43_kou.html

7 大坂改正浪花講(550-24)
 東京 辻岡文助 明治12(1879)年

 鉄道の発達とともに、浪花講は消えていきますが、明治の初めには、まだ残っていました。展示したこの浪花講の地図には西は静岡までしか記されていませんが、品川のところに汽車の絵が描かれています。

8 諸国名所早引定宿図会(ぬ-211)
 京都 松屋吉兵衛

 多色刷り、両面印刷の折本で、長崎・熊本から北海道の松前までの道中と浪花講の定宿を記します。大坂名所略図には戎、安井天神、一心寺、四天王寺、生玉、高津などが見えます。


諸国名所早引定宿図会 諸国名所早引定宿図会

 


9大川便覧(378-54)
 大坂 赤松九兵衛ほか 高嶋春松画 天保14(1843)年

 淀川河口から伏見までの川筋の風景や名所を載せ、両岸を結ぶ渡しも描かれています。川沿いの「野田ノ藤」「天神社」「江口君堂」などを案内しており、京阪本線や阪急京都線沿線のなじみ深い地名も列挙されています。

10 改正新版増補日本汐路之記(377-232)
 大坂 松本屋新助ほか 明和7(1770)年 高田政度序 寛政8(1796)年

 「汐路之記」のとおり海上の道の案内記。最初に大坂・江戸航路について紹介しています。淀川河口の木津川と安治川について「毎日入津出帆夥敷事なれども舩つがえな」し、「諸国第一の大湊」と評しています。  見返しの背景は住吉と思われます。

11 増補登舩独案内(子-356)
 大坂 藤屋九兵衛ほか 天保8(1837)年


増補登舩独案内  大坂と伏見の船宿リストの後に、淀川両岸の案内図があります。「天満青物市バあり」「京橋毎朝川魚の市あり」「野田料理や大和屋三右衛門」などが記されています。


12 浪華組道中記(377-130)
 大坂 秋田屋良介など 松川半山画 天保8(1837)年

 「定宿名前年々改正」とあり、毎年優良な宿を評価する様子がうかがえます。各街道と「江戸名所案内」など各地の名所を紹介しており、大坂の名所には「新清水」「安井天神」「一心寺」「八軒屋」のほかに「三ツ井呉服店」「虎や菓子店」が並びます。大坂名物も「天満大根」「伊丹さけ」「天下茶屋ぜさい」「四ツはしきせる」が紹介されています。大坂の光景は天保山から金比羅大権現遥拝所の図を挙げています。

13 住吉名所鑑(378-46)
 享保元(1716)年 原田浩斎序

 目次を見ると「社録」「社中絵図」とあり、住吉神社の解説書のようです。しかし、最後の項に「社参手引」として「大坂東横堀の上手より参詣の時ハ」「同所中せん場より参詣の時は」「同所西横堀の西手より参詣乃時ハ」とあって、住吉へのルートと休憩所を案内しています。正月十日の今宮戎や天下茶屋などの料理茶屋を載せます。

14 道中細見定宿帳(子-607)
 大坂 藤屋菊治郎など 嘉永4(1851)年

 「道中細見」の名の通り、講指定の宿の一覧と道中の地図を記しています。最後の項目に江戸・京都・大坂の名所、名物が紹介されていますが、天保山についてはわざわざ「日本一の風景なり」と賞賛しています。 


道中細見定宿帳



15 いせあんない記(371-590)
 内題は「七在所案内記」。「伊勢山田より伊賀越奈良道」「伊勢山田から京大坂」など伊勢を中心に宿場町の距離を記しています。大坂は「四ツ橋」と船らしきものが紹介されています。

16 難波巡覧記(378-1052)
 大坂 藤田幸兵衛 天保8(1837)年

17 難波巡覧記(378-166)
 大坂 秋田屋市兵衛 天保12(1841)年

 大坂を訪れた遠方の人が案内人なく見物できるように作成した、とあります。4日間のツアーで大坂市中を巡るルートが記されています。初日は「東本願寺御坊」から、二日目は「高津社」から、三日目は「天満宮」から、四日目は「新町九軒町」から見物できるように紹介されています。

18 浪華名勝独案内(378-514)
 酒福楼蔵 松川半山画 安政6(1859)年

高麗橋より大坂の名所を多数紹介しています。(隣に名所の一覧を紹介しています。)


浪華名勝独案内


19 堺泰平講(550-8)
 慶応3(1867)年

堺泰平講
幕末の堺の「泰平講」です。
「ええじゃないか」が最後の丁に描かれています。



20 風流画口合浪花名処道案内(378-626)
 桜亭似螻撰  松川半山画

大坂の名所を狂句と絵で紹介しています。大坂城を中心に配し、四天王寺や堂島米市場、ざこばなど全55景あります。


[参考文献]今井金吾『道中記集成』全47巻 1996年から1998年 (大空社) 291.09-229N
       青柳周一「近世旅行史研究の成果と課題」『歴史評論』642号(2003年10月)

   

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