この中之島図書館では、大阪関係の資料や古典籍のコレクションをより充実させるため、江戸時代の版本や写本、大阪にゆかりの深い作家の初版本などの既刊書も収集しています。今年度に収集した資料のうち数点を展示します。
- 1 おくのあら海(おくのあらうみ)
1冊 岡田鶴鳴妻著 寛政2序刊(1790) (223.6-144)
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岡田鶴鳴は交野の一宮の神官、この書は鶴鳴の妻小磯氏の紀行文。花山院の姫が松前侯に嫁ぐのに随って松前に赴いたものの、姫は若くして亡くなり、任を解かれて京へ戻るまでを日記体に綴っている。
夫鶴鳴と親交のあった枚方の医師三浦蘭阪が跋文を寄せ、『十六夜日記』の阿仏尼に比して小磯氏を賞賛している。
- 2 御蔭参宮倭邯鄲 (おかげまいりやまとかんたん)
3巻3冊 表野黒人著 翁斎昼也画 文政13序刊(1830) (255.8-106)
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文政13年の「お陰参り」を主題にした読本。中国の故事「邯鄲の夢」に事寄せたもので、世中屋夢助という難波に住む男が、座麻神社の富籤で大金を得、両替相場で大儲け、俄大尽となって、新町の遊女一行をつれて伊勢参宮に繰り出すという夢物語。色刷り挿絵が各冊4−5丁ある。
- 3 絵本淀の流れ(えほんよどのながれ)
- 1冊 刊 (919-78)
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淀川を挟んだ京と大坂の風俗違いを描いた子供向け絵本。吉田山と住吉、北野のほととぎすと竹本浄瑠璃、京女と難波男、名所と橋、嵯峨釈迦堂と虎屋饅頭、染と藍、紅葉高雄山と天神祭等々。
- 4 上方芝居絵番付( かみがたしばいえばんづけ)
布屋源兵衛等刊 安永9年−文政11年刊(1780−1828)
22冊 (974-116)
- 当館の主なコレクションの一つに芝居番付があり、朝日新聞文庫に収まるものを含めて約3700種に及ぶ。その中には当然絵番付もあるが、所蔵資料は、幕末から明治初期にかけての物が多く、今回収集したのは従来所蔵している資料より少し先の時代の角芝居絵番付である。
- 5 高槻藩大目付役万控(たかつきはんおおめつけやくよろずひかえ)
1冊 天保9写(1838) (文書−246)
- 松下俊明なる人物が書き留めた、高槻藩目付役の役務の覚え書である。「年中行事」「諸事覚」「御歴代」「服忌令」など14項目からなる。 後書きによれば、天保9年に大橋氏より借受して写した、とあり、同僚より借り受て役務に備えたのであろう。永井家11代藩主の直輝の没年明治7年を記していることから、後々も諸事書き加えていったようである。
- 6 (文久癸亥)西川通船路新開図(にしかわとおりふなじしんかいのず)
1枚 四方春翠画 京 平野屋茂兵衛等刊 文久3(1863) (371-622)
- 文久3年、京都において、桂川から取水して、下鳥羽から小さな川を利用しながら二条城へ達する新たな水路が開発された。江戸時代初期に開発された高瀬川に比して、西高瀬川、もしくは西川と名付けられた。その風景を描く。木津・鴨・桂川の3流が合流して淀川になる八幡あたりまで描かれ、遠大な眺めである。
- 7 上宮天満宮山内絵図(うえのみやてんまんぐうさんだいえず)
1枚 松川半山画 高槻 上宮天満宮社務所刊 (枚−205)
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高槻にある天神社全景を描く、松川半山は幕末大阪の風俗画家、挿絵とともにこのような一枚刷り物の作品も数多い。明治期のもので、現在の、JR駅前商業地と住宅街に挟まれ、境内前を車が行き交う情景とは格段の差がある長閑な光景である。
- 8 南窓(なんそう)
1冊 河合酔茗著 京都 人文書院刊 昭和10(1935) (あ1−100)
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河合酔茗は堺出身の詩人(1874-1965) 、明治32年関西青年文学会主宰の雑誌「よしあしぐさ」の編集に携わった。「無弦弓」「塔影」など数多くの作品を世に出して口語詩の発展に寄与、大正期以後は女流詩人の育成にも貢献した。本書は随筆集。「ちぬの海」「住吉踊」の項からなる「郷里に居た頃」や「明治年間の大阪文学」など36篇を収める。また、表紙見返しには、書名の由来となった陶淵明の詩「倚南窓以・・・」の一節を自ら記し、署名している。
- 9 大阪府柑橘誌(おおさかふかんきつし)
1冊 大阪府農会刊 大正2(1913) (625.3-8N)
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大正2年4月、大阪府において第3回全国柑橘大会が開催された(場所・日程とも不詳)。本書はその記念に編纂・発行された。当時の大阪は泉南・南河内・豊能地区を中心として、柑橘生産の王国の一つであり、セントルイス万国博覧会で金賞を受賞したほどであった。この書は、大阪における柑橘栽培の歴史、生産高、生産者、卸売業者名などが載り、82頁の小冊子ながら豊かな内容を持つ資料である。
- 10 大阪の動物園(おおさかのどうぶつえん)
1冊 上田長太郎著 大阪 輝文館刊 昭和19(1944) (480.7-68N)
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大阪毎日新聞社で10数年にわたって動物園担当記者として勤めてきた著者の体験談である。本来は、林佐市氏が大阪市立天王寺動物園長を勇退した記念に執筆されたものだが、この時期は太平洋戦争中、折しも日本の戦局が悪化しつつある時であり、動物園では「動物処分」という事態に直面している頃であった。「どうだね君の息子さんは、もう済んだかね」という飼育係に尋ねる記者らしい書き方が、戦後糾弾調で書かれる「動物処分」の話より、悲惨さをより浮き彫りにしている。
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