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第26回大阪資料・古典籍室1小展示
平成11年4月1日〜5月9日


関西私鉄回顧録





はじめに

 関西が「私鉄王国」であることは、さまざまな場面で言われてきました。

 最近刊行された原武史著『「民都」大阪対「帝都」東京 思想としての関西私鉄』講談社選書メチエ(686.2-173N;当館所蔵)でも、権力装置としての国鉄が主な交通手段であった東京と私鉄が謳歌した関西との交通文化史論を展開しています。

 阪神タイガースにタカラヅカ、菊人形。関西の人たちになじみの深いこれらの事柄はすべて私鉄と関わりをもっています。

 しかし、「関西文化」を支えてきた私鉄は大手に代表されるものばかりではありません。明治の私鉄設立期以来の歴史の中で消えていった数多くの私鉄もあります。

 今回の展示では、今はなき関西私鉄を跡づけることで昔日の関西交通文化について考えてみたいと思います。



1 阪堺鉄道経歴史

   阪堺鉄道〔編〕  1899年緒言  1冊     (544.4−267#)
 阪堺鉄道は、明治18(1885)年に日本鉄道、東京馬車鉄道に次いで我が国で3番目に登場した私鉄です。大阪の豪商藤田伝三郎等を中心に設立されましたが、明治31(1898)年に南海鉄道と合併し、現在は南海本線の一部となっています。

 この資料は、南海鉄道との合併に際して作成されたもので、会社創業以来の略歴に加えて所有車両の図面や「布設願」などの当局とのやりとりを記した文書も収めています。

 阪堺鉄道の歴史に関しては上記の資料の他にも、『日本鉄道史』(553-1#)や『南海電気鉄道百年史』(686-23N)でも述べられています。


2 大阪鉄道略歴

    大阪鉄道〔編〕  1901年  1冊     (544.4−241#)
 ここに紹介する大阪鉄道は、昭和初期に活躍する大阪鉄道とは別の私鉄になります。現在のJR関西本線(JR難波〜奈良)、桜井線(王寺〜桜井)の一部、大阪環状線の東半分(梅田〜天王寺)をエリアとしていました。
 
 この私鉄は後に関西鉄道に譲渡され、明治40(1907)年の鉄道国有法によって国鉄に買収されました。

 この資料も『阪堺鉄道経歴史』と同様に、略歴、保有車両の図面、「布設願」などを収めています。


3 関西鉄道略史

   奥田晴彦編著  鉄道史資料保存会  1975年  384P    (553−751#)
 関西鉄道は明治期の関西私鉄としては最大規模の私鉄でした。最盛期には大阪、京都、和歌山、滋賀、三重、愛知に路線を広げていましたが、明治40(1907)年の鉄道国有法によって国鉄に買収されます。
 
 JR大阪環状線、関西本線、和歌山線、桜井線、片町線、奈良線、草津線は元をたどれば、この関西鉄道に行き着きます。

 『関西鉄道略史』は在野の研究家による労作で、沿革史、保有車両の章には多くの資料が紹介されています。


4 大阪電気軌道営業報告書

    鉄道史資料保存会  1988年〜1989年  4冊   (553−1205#) 
大阪電気軌道は上本町と奈良を本線とする鉄道です。後に参宮急行電鉄と合併して関西急行電鉄となり、現在は近鉄奈良線を中心に形成されています。

 この営業報告書には人事、工事、営業に関する毎年の状況が記載されています。写真のない地味な資料ですが、乗車人員や乗客収入の表などが豊富で、大阪電気軌道の動きを知るためには貴重な資料といえます。


5 大阪より奈良まで沿道名所案内

  大阪電気軌道株式会社編輯 1914年 100P 図版23枚  (372−355#)
 生駒トンネルの開通を機に「動的大阪」と「静的奈良」(同書 序文より)を紹介したガイドブックです。
 「上本町」「鶴橋」「片江」「深江」「小阪」「若江」「瓢箪山」「枚岡」「石切」「生駒」「富雄」「西大寺」「奈良」の各停車場ごとの、付近の名所を案内しています。

 現在も私鉄各社が発行している沿線ガイドの仲間です。こうした沿線案内の古い資料は京阪電鉄(553-825#)や京阪バス(291.6-145N)、大阪乗合自動車(378-1351#)のものを所蔵しています。


6 沿線御案内

  大鉄電車 〔1933年〕  1枚    (553−1243#)
 大阪鉄道は今では近鉄南大阪線となった私鉄です。戦時交通体制が進む中で関西急行電鉄と合併しました。

 紹介面の裏側には沿線遊覧案内があって、先年廃園となり市営公園に生まれ変わった、玉手山遊園が「石川の清流と河摂の原野紀和の山翠と、遠く淡路島を望む勝地」として紹介されています。
 
「ハイキング割引回遊券」「登山割引回遊券」「楠公遺跡回遊券」という割引チケットの広告もあって、今と変わらない私鉄商法の様子を窺い知ることができます。


7 沿道名所案内

  信貴生駒電鉄株式会社編輯  王寺町  1927年  19P 図版20P  (291.65−59N)
 信貴生駒電鉄は生駒と王寺、そして旧大和鉄道の王寺と田原本を結んでいた私鉄です。現在の近鉄の生駒線と田原本線です。生駒と枚方を結ぶ路線も計画されていました。

 この資料でも「王寺」「山下」「信貴山」「平群」「元山上口」「南生駒」「一分」「生駒」の各停車場ごとに付近の名所を案内しています。


8 信貴生駒電鉄社史

   信貴生駒電鉄株式会社社史編纂委員会編集 近畿日本鉄道 1964年  149P  (544.4−349#)
 『信貴生駒電鉄社史』によると王寺生駒間を開業させた後、私市枚方東口間の枚方線を昭和4(1929)年に開業させています。
 枚方線は後に交野電気鉄道を経て、昭和20(1945)年に京阪交野線となりました。王寺から田原本までの大和鉄道とは昭和36(1961)年に合併しています。

 この社史にはこの大和鉄道の歴史も記述しており、王寺周辺の鉄道史に触れることのできる資料です。


9 阪和電気鉄道史

  竹田辰男著  鉄道史資料保存会  1989年  394P   (553−1225#)
 阪和電鉄は天王寺と和歌山を結ぶ、昭和4(1929)年に開業した比較的新しい私鉄です。昭和15(1940)年の南海との合併を経て、昭和19(1944)年に国鉄に買収されました。現在のJR阪和線です。

 誕生から消滅まで、非常に短命ながら、技術力の高さと南紀への観光サービスなどで私鉄史に大きな足跡を残しています。

 この資料の著者も在野の研究者ですが、膨大な資料に目を通した詳細な研究成果で、阪和電鉄唯一の「社史」といえるものです。中にも阪和電鉄作成による資料も多数掲載されていて、ビジュアル的にも楽しめる資料です。


10 関西の私鉄

  懐かしき時代 高橋弘作品集2   高橋弘著  交友社  1979年  278P  (553−939#)
 京阪、阪神、阪急などの懐かしい風景を収めた写真集です。

 ここに紹介した「旧奈良電」とは現在の近鉄京都線のことで、かつては奈良電鉄という私鉄でした。『奈良電鉄社史』(544.4-271#)は大阪府立中央図書館が所蔵しています。


11 目で見る淡路島の100年

   武田信一責任編集  郷土出版社  1995年 147P  (A216−790N) 
大正11(1922)年に洲本口から市村の間に開通した淡路鉄道は順次路線を伸ばしていって、大正14(1925)年には洲本福良間が全面開通しました。昭和18(1943)年に淡路交通と改称した後も島民に広く親しまれてきましたが、戦後のモータリゼーションのあおりを受けて、昭和41(1966)年に廃止してしまいます。

 郷土出版社の『写真が語る激動のふるさと一世紀』シリーズは写真も豊富に掲載されており、当時の様子をいきいきと伝える資料です。昔懐かしい私鉄との出会いの場も提供してくれます。


12 神戸市電・阪神国道線
  小林庄三著  トンボ出版  1998年  144P   (686.9−13N)
13 阪堺電軌・和歌山軌道線
  小林庄三著 トンボ出版 1996年       208P      (686.9−8N)
 戦後のモータリゼーションによって、市民の足として親しまれてきた路面電車は廃止の憂き目にあいます。著者はここに紹介する資料の他にも愛惜をこめて『なにわの市電』(686.9-6N)という本を著しておられます。

 阪神国道線は阪神の野田から国道2号線を東神戸に伸びていました。阪神電鉄は国道線以外にも上甲子園から甲子園を経て中津浜にむかう甲子園線、野田から中津を経由して天神橋筋六丁目にむかう北大阪線の3つの路面電車を有していました。しかし、モータリゼーションのあおりを受けて昭和50(1975)年5月5日に廃止されました。

 和歌山にも路面電車が走っていました。開業は明治42(1907)年のことでした。和歌山水力電気という会社が開業させますが、その後、京阪電鉄和歌山支店、東邦電力、和歌山電気軌道(阪和電鉄系)と経営者を次々と代えて最後には南海電鉄和歌山軌道線となりました。廃止されるのは昭和46(1971)年のことです。

 路面電車は今ではLRVと名前を改め、環境にやさしい乗り物として再び注目を浴びつつあります。


14 さよなら京都市電 83年の歩み

    京都市交通局編集  1978年   223P   (747−113#)
 日本で最初の路面電車であった京都市電は、明治28(1895)年に京都電気鉄道という私鉄からスタートしました。市電は明治45(1912)年に開業し、一時期京都では京電と市電が競合することになります。大正7(1918)年6月末日に京都市が京電を買収して、京都市内の軌道交通の一元化が図られました。

 この資料は敷設/廃止状況を示した路線図や全形式の紹介や回想記があって、さまざまな立場から京都市電を知ることができるようになっています。

 他にも『公営交通事業沿革史』(682.1-4N)4巻の1および2が大阪府立中央図書館に所蔵されています。


15 市電 市民とともに65年

  大阪市交通局総務部総務課編集 大阪市交通局 1969年 101P  (553−473#)
 大阪市民の足を支えてきた大阪市電。京都とはちがって最初から市営交通として誕生しました。昭和10年代末には営業キロ115.6 キロ、1日平均 140万人を超える輸送力を誇っていました。

 昭和35(1960)年10月6日に大阪の都心部を襲った交通マヒの原因の1つとされた市電は瞬く間に廃止の対象となり、昭和44(1969)年に大都市ではトップをきって全廃します。


16 大阪市電 路面電車66年の記録

   大阪市電編集委員会編 鉄道史資料保存会 1980年   259P  (550−1119#)
大阪市電の全廃から10年後の市電創業75周年を記念して刊行された資料です。I.歴史編、II.車両編、III.資料編に分けられており、それぞれのアプローチから大阪市電の姿をとらえています。カラーページのない地味な体裁ですが、市電を知る基本的な資料です。

 この他にも『大阪市交通局七十五年史』(681.8-13N)、戦前までの歴史を記した『公営交通事業沿革史』(682.1-4N)第5巻の1および2を所蔵しています。


17 鉄道史料

  鉄道史資料保存会    (736−415#)
 『鉄道史料』は鉄道史資料保存会の会報で、車両を中心とした資料の紹介が紙面を埋めています。「人の捜し求めたものを主体とし、一般の雑誌、刊行物において掲載できないものを集めて」(創刊号 巻頭言)とあるように、一次資料が豊富で鉄道研究の基礎となるものが数多く掲載されています。

 ここでは、近鉄道明寺線、河内長野線となった河南鉄道、JR加古川線や三木鉄道、北条鉄道となった播丹鉄道、JR阪和線の阪和電鉄、嵐山と清滝を結んでいた愛宕山鉄道を紹介します。



〔参考文献〕

和久田康雄著『私鉄史ハンドブック』(電気車研究会)1993年
鉄道史学会編『鉄道史文献目録』(日本経済評論社)1994年