大阪府立中之島図書館は明治37年(1904)2月に「大阪図書館」として開館し、平成16年(2004)には百周年を迎えることとなる。大阪図書館が開館した明治30年代は、大阪においても近代文芸が成熟し始め、与謝野晶子らが活躍し数々の文芸誌が創刊された時代であり、多くの才能溢れる作家が大阪で誕生した。
今回の展示では、そんな作家達の中でも大阪図書館が開館した明治37年大阪に生まれ、大阪のみならず日本の文芸史において偉大な足跡を残した4人の作家、すなわち藤澤桓夫、武田麟太郎、長沖一、長谷川幸延の著作を紹介する。
〈展示資料〉
◆ 藤澤桓夫 (1904〜1989)
明治37年(1904)7月12日大阪市東区備後町の学問所「泊園書院」に生まれた。父章次郎、母カツ(船場生まれ)。藤澤家は代々漢・儒学の家柄であり、祖父は南朝正統論で有名な南岳、父は黄坡と号した。
道仁小学校、今宮中学を経て、大正11年(1922)4月旧制大阪高校文科甲類(英語)へ入学。文学に熱中し、級友の神崎清、小野勇、崎山正毅らと回覧雑誌(原稿を綴じた程度といわれる)『猟人』を作成、続いて同12年(1923)10月には同人雑誌『龍舫』を創刊。ここに書いた処女小説『化粧』は横光利一に評価される。同人雑誌『傾斜市街』にも参加し、続いて波屋書店主人宇崎祥二の協力もあり同14年(1925)3月同人雑誌『辻馬車』を創刊する。この雑誌には前述の3人の他長沖一、中川六郎、上道直夫、小野十三郎、田中健三らといった面々が参加している。5月号(3号目)に書いた『首』等が横光利一、川端康成ら新感覚派の激賞を受け、新進作家としての地位を築き始める。同15年(1926)4月東京帝国大学英文科(のち国文科に転科)に入学、今宮中学同級の武田麟太郎と懇意にするうちプロレタリア文学の影響を受け同人雑誌『大学左派』、『戦旗』等に参加、新進左翼作家の地位を確立する。ところが健康を害し、昭和5年(1930)正木不如丘博士の富士見高原療養所に入所し3年間の闘病生活に入った。
同8年(1933)故郷の大阪に戻り文芸活動を再開、明るく知的な生活を描いた小説を次々と発表し、同16年(1941)から半年間『朝日新聞』に連載し映画化もなされた『新雪』等数々のヒット作を生む。昭和8年(1933)以来大阪に定住し、人格的にも度量があり知友も多く、織田作之助、司馬遼太郎、田辺聖子らも彼から師恩を受けている。また教養人である彼は趣味も多く、麻雀、競馬、野球(南海ホークスの大ファン)等、特に将棋はプロも顔負けであったという。平成元年(1989)6月没。没後、氏の蔵書といくつかの遺留品は、典子夫人より生前彼が愛したといわれる当府立中之島図書館が寄贈を受け、藤沢文庫として保存し、一般に公開している。
1 『龍舫』創刊号 大阪高等学校文科内龍舫社 1923 (当館請求記号)藤沢6063
2 『傾斜市街』創刊号 波屋書店 1924 藤沢6014
3 『辻馬車』創刊号 波屋書房 1925 藤沢6038
4 『辻馬車時代』 改造社 1930 ア1-164N
5 『新雪』 新潮社 1942 藤沢62
6 『中学生』 全国書房 1942 藤沢76
7 『大阪五人娘』 新潮社 1940 藤沢22
8 『水のほとり』 桂書店 1946 藤沢107
9 『大阪手帖』 秩父書房 1941 藤沢28
10 『燃える石』 桂書房 1947 藤沢117
11 『大阪』 木原書房 1947 藤沢20
12 『街の灯』 春秋社 1933 藤沢105
13 『大阪 我がふるさとの…』 中外書房 1959 藤沢21
14 『愛と火と』 東方社 1959 藤沢1
◆ 武田麟太郎 (1904〜1946)
明治37年(1904)5月9日大阪市南区日本橋東1丁目に父武田左二郎、母すみゑの長男として生まれた。倉敷出身の父左二郎は巡査で、三弟三妹の家庭は決して裕福ではなかった。
大正6年(1917)3月安立小学校卒、4月に府立今宮中学に入学、ここで藤澤桓夫と出会い、作家を志す。同11年(1922)3月今宮中学卒、翌12年(1923)京都の第三高等学校へ進学。永井荷風、田山花袋に惹かれ、以後井原西鶴に傾倒する。同じころ徐々に作家として成功しつつあった藤澤桓夫に刺激を受け、同14年(1925)土井逸雄、清水真澄らと同人雑誌『真昼』を創刊。同15年(1926)4月東京帝国大学仏文科に入学、ほとんど登校せず浅草や場末を遊び歩いたといわれる。このころ藤澤桓夫らの『辻馬車』に参加するが、上級の梶井基次郎や中谷孝雄の影響を受け無頼派を名乗り、労働者運動に共感するようになる。昭和2年(1927)春の進級試験に失敗、除籍される。この頃同人雑誌『大学左派』や『十月』の同人となる。同3年(1928)春頃から本所柳島元町の帝大セツルメントで働き、労働・政治運動に奔走するようになるが、検挙され一月間程拘禁される。このいきさつを描いた『暴力』を同4年(1929)6月『文芸春秋』に発表するが、反戦的な内容として発禁処分を受け、削除して発売された。その後満州に渡り、帰国後『反逆の呂律』、『脈打つ血行』等次々と出版、これらはスピードとリズムがあり新感覚派と左翼イデオロギーが融合した新しい文学として評価された。その後、庶民的な視点から現代社会を批判する新境地を開拓、『日本三文オペラ』や『釜ヶ崎』、『勘定』、『うどん』と発表し続け、同8年(1933)10月林房雄、小林秀雄、川端康成らと『文学界』を創刊、思想性のある風俗小説家として一定の地位を得た。しかし時局便乗的な右傾作家を批判し同11年(1936)3月『人民文庫』を刊行、発禁となり莫大な借金を背負う。この時期にも『大凶の籤』等秀作を著す。太平洋戦争時には陸軍報道班員としてジャワ島に赴き、敗戦後文学活動をはじめた矢先、同21年(1946)3月肝硬変で急死する。念願の『井原西鶴』も未完となった。
15 『暴力』 天人社 1930 藤沢419
16 『反逆の呂律』 改造社 1930 藤沢418
17 『脈打つ血行』 内外社 1931 藤沢420
18 『勘定』 改造社 1934 藤沢416
19 『大凶の籤』 改造社 1939 織田83
20 『簪』 新潮社 1940 あ1-103
◆ 長沖一 (1904〜1976)
明治37年(1904)1月30日大阪市生まれ。旧制大阪高校時代に同級の藤澤桓夫、神崎清らと出会い文学に関心を持つ。東京帝国大学文学部に進み、藤澤桓夫らの同人雑誌『辻馬車』に参加、3巻7号からは編集責任者になり、武田麟太郎らと終刊直前の左傾化の一翼を担う。昭和10年(1935)大阪に戻り吉本興業に入社し、秋田実らとPR誌『ヨシモト』の編集に携わり、ユーモア小説や、新しい大衆芸能の育成に勤める。戦時下は芸能人たちを組織し「笑わし隊」を結成、中国に渡り軍隊の慰問を続ける。終戦後は放送作家として『お父さんはお人好し』に携わり、この番組はラジオ放送史上有数の大ヒットを記録する。その他にも作家として藤澤桓夫の『文学雑誌』刊行に協力、同22年(1947)小説集『大阪の女』を出版する。また学者としても名を馳せ、同年帝塚山学院大学文学部教授となり、のち帝塚山学院短期大学学長となる。同51年(1976)8月没。
21 『ヨシモト』創刊号 吉本興業 1935 雑3509
22 『お父さんはお人好し』 東京文芸社 1956 藤沢499
23 『文学雑誌』創刊号 三島書房 1946 藤沢6051
24 『大阪の女』 白鯨書房 1947 あ1-23
◆ 長谷川幸延 (1904〜1977)
明治37年(1904)2月11日大阪市曽根崎に生まれる。母は長谷川トラ、父は不明。トラは産月が近くなって離婚し、生まれたばかりの幸延を祖父母に預け再婚する。祖父母の家は北区の中央病院東の辺りで、繁華な地区であった。
幸延は芝居好きな祖父母に大切に育てられ、同42年(1909)当時には珍しく幼稚園にも通った。学歴は小学校卒業のみだが、祖父母の芝居好きに影響され幼少時より小屋に出入りし、演劇界、特に新派に親しみ、大正12年(1923)に処女戯曲『路は遥けし』を執筆、同年3月喜多村緑郎劇団により上演され、これを機に劇作家、演出家の道を歩み始める。同14年(1925)大阪にNHK(BK)放送局が開設されると嘱託となり、初期のラジオドラマを開拓、文芸作品の脚色にも健筆を振るう。昭和14年(1939)小説家を志し上京、長谷川伸に師事し『オール読物』『日の出』等に寄稿し始める。同16年(1941)『大衆文芸』6月号に発表の『冠婚葬祭』で第5回新潮賞を受賞し、小説家としての地歩を固める。三遊亭円朝が世に出るまでの経緯を描いた『奇席行燈』(『読売新聞』夕刊連載、昭和29.8.11〜30.5.18)をはじめ、大阪の芸人を描いた作品も多く、教養があり上方の芝居物は勿論の事、歌舞伎や浄瑠璃にも精通していたという。昭和52年(1977)6月没。
25 『浪花隊顛末』 東亜文化書房 1943 あ1-77
26 『夜々の星』 和同出版社 1954 ア1-176N
27 『笑説法善寺の人々』 東京文芸社 1965 藤沢522
〈参考文献〉
◆ 当展示を開催するにあたり、下記の文献を参照した。
『大阪の文芸(毎日放送文化双書10)』 毎日放送 1973 033-143#
『大阪自叙伝』藤澤桓夫 朝日新聞社 1974 215-4067#
『藤澤桓夫先生著書目録』谷沢栄一・肥田晧三編 中尾松泉堂書店 1975 016-139#
『評伝武田麟太郎』大谷晃一 河出書房新社 1982 220.1-3047#
『大阪文芸長沖一展 平成15年度春季特別展展観目録』関西大学図書館 2003 910.26-3445N-ナガ
『長谷川幸延先生著書目録』田熊渭津子編 1976 (『混沌』第3号所収) 雑3064
『日本近代文学大事典』小田切進編 講談社 1977 220.2-103#
『大阪人物辞典』三善貞司編 清文堂出版 2000 281.6-53N
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