第74回大阪資料・古典籍室1小展示 平成18年11月10日(金)〜平成19年1月10日(水) (入場無料) |
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古典籍資料のなかの「外国語」
――文字・活字文化の日にちなんで
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■ 「外国語」への関心 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『吾妻鏡』より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『吾妻鏡』に記された「文字」をめぐって、儒学者林羅山は朝鮮通信使に意見を求めたことがあります。見たこともない文字がいったい何と書かれているのか。かつての日本人にとっても、それは大きな関心事でした。右に掲げた文字について、朝鮮通信使文弘績も興味をもって「王国貴族」と読むのではないかと推論しています。
なお、後になってこの文字は女真文字で、「国之誠」という意味であり、この文字の記されていた銀簡は通行手形のようなものであったことが分かりました。1976年には、当時のソ連で同じ文字が記された実物も発見されているとのことです。
■ 日本語 ⇔ オランダ語
「鎖国」時代、日本で西洋の学術を学ぶためには、オランダ語の資料を通じて行う必要がありました。その研究の成果の1つが、オランダ語辞書の作成だったといえます。またオランダからの様々な情報が翻訳され、それらが当時の人々の目に触れることにより、蘭学(洋学)の発展をみることともなりました。
■ 中国語 ⇔ 琉球語(琉球方言)
かつて琉球は、清朝と独自に交流していたため、中国資料の中には「琉球語」を言語として記録したこともありました。その記録のうちの1つである『中山伝信録』では、琉球の文字として「いろは」を紹介していますが、日本の文字かもしれない、とも考えていたようです。
■ 日本語 ⇔ 韓国・朝鮮語
江戸時代には朝鮮通信使の交流を通じて、日本と李氏朝鮮双方の言語を学ぶための資料が作られていました。
■ 韓国・朝鮮語 ⇔ 中国語
韓国・朝鮮語を著す際の文字ハングル(訓民正音)は、1443年に完成し、1446年に公式頒布された歴史的に新しい文字で、明確な成立年代の分かる珍しい文字でもあります。中之島図書館が所蔵する韓本(朝鮮本)の中には、このハングルによって中国語の学習をするための資料も残されています。
■ 中国語 ⇔ モンゴル語
モンゴル語の文字は、チンギス・カンの時代にウイグル文字が採用され、それをもとに改良されたものです。縦書きですが、日本語とは異なり、左の行から右の行へと進みます。また、清朝時代には準公用語としての扱いを受けました。
■ 満洲語
満洲語は中国の清朝をたてた満洲族の言語。文字については、もともと利用していたモンゴル文字に改良を加えたものです。この満洲語は「国語」として、満洲族の子弟のための教育課目となっていましたが、日常的に使用されることは少なく、ラストエンペラー溥儀も、満洲語は苦手だったといわれています。
■ 近代の文字研究−西夏文字の場合
西夏文字は中国にかつて存在した、西夏国(井上靖の小説『敦煌』などで有名)の文字。漢字を模倣して作られましたが、漢字に較べて複雑な形をしています。ここでご紹介する近代の研究書からも、絶えることのない、ヒトがもつ「ことば」への関心をうかがうことができると思います。
主な参考文献
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