先日のことです。図書館の勤務を終え市役所の横を通り、地下鉄の淀屋橋駅に向かって歩いていると後ろで話し声がします。
「大阪の街ってきれいね・・・」。何かのの用件で大阪にやってきた人達の会話のようです。一瞬ハッとし、それから何となくうれしくなりました。
スーツに身をつつんだビジネスマンたちが、いそがしそうにすれ違う船場や北浜あたりのビルの谷間を北に向かって通り抜け、土佐堀川にかかる難波橋や栴檀木橋にたどり着くと空が大きくひらけます。
中之島公園の木々の緑と、川面を渡る風がいっとき心を開放してくれるようです。中之島図書館が建つここ中之島公園は、大阪城公園とならんでJR環状線の内側に残された貴重な緑の空間といえるでしょう。
都心に残された緑を求めてやってくるウグイス、メジロ、シジュウカラ、カワラヒワ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、ムクドリ、カルガモなどの野鳥を目にすることがあります。毎年冬に渡ってくるユリカモメの群れはもうおなじみです。
さて、この中之島を開発したのは材木商で淀屋の元祖の淀屋常安であるといわれます。彼は大阪落城のあとの元和年間(1615−1624)に、あしの茂っていた中之島を切り開き、後の蔵屋敷建設の基礎を作りました。
江戸時代の中之島には諸藩大名の蔵屋敷が建ち並び、延享年間(1744−1748)に大阪にあった主要蔵屋敷89のうち36が水運の便に恵まれた中之島にありました。
当時の中之島の東端は現在の中央公会堂あたりまでしかなく、その付近に備中成羽藩の山崎氏の蔵屋敷が建っていたのでこの中之島の東端は「山崎の鼻」と呼ばれていました。
現在のように中之島が天神橋までのびたのは大正時代になってからのことです。 明治維新後、政府は蔵屋敷のあとを官庁、学校、病院などにあて残りを民間に払い下げました。
明治の終わりから大正にかけては日銀大阪支店、中之島図書館、中央公会堂、旧大阪市庁舎などの四大名建築といわれる中之島を代表する建物が建てられました。
昭和46年に大阪市が市役所・公会堂の建て替え、中之島図書館の移転などを内容とする「中之島東部再開発構想」を発表します。これに対して建築家、都市計画家、市民などから歴史的環境保存運動がおこります。この運動は「中之島を守る会」の結成につながり会の働きかけで始まった「中之島まつり」は、中之島の年中行事となって定着し現在も続いています。
最近の中之島での動きとしては平成11年から中央公会堂の保存再生工事が始まる予定で、また一方中之島西部では大阪国際会議場(仮称)と新住友病院の建設工事が現在進行中です。
今回の小展示では中之島図書館所蔵の写真集、画集、錦絵などに見られる中之島の風景をピックアップしてみました。 これらのなかには、現在の中之島から想像しにくいような風景が残されています。
中之島図書館や中央公会堂の周辺をお歩きになるおりには、どうぞこれらの名建築をとおして遠い明治・大正の時代をしのんでみて下さい。
なお今回の展示にあたっては下記の文献を参考にさせていただきましたので、中之島に関心をお持ちの方はご一読下さい。
参考文献
『中之嶌誌』 中之島尋常小学校創立六十五年・中之島幼稚園創立五十周年記念会編 昭和12年 |
<378-141> <378-623> |
『キタ−風土記大阪−』 宮本又次著 昭和39年 ミネルヴァ書房 |
<378-385> |
『中之島−よみがえれわが都市(まち)−』 中之島を守る会編 昭和49年 ナンバ−出版 |
<378-629> |
『中之島・公会堂』 大阪都市環境会議編 平成2年 都市文化社 |
<379.2-1N> |
展示資料
『大川便覧』 〜「中之島付近」 天保14年 |
<378-54> |
『浪速の魁』 〜「自由亭」「清華樓」 明治15年 |
<子-359> |
『大阪中之島公園之景』 長谷川貞信画 明治30年 |
<枚-12> |
『大阪府立中之島図書館写真アルバム』 〜「開館当時(明治37)
の図書館」 |
<館資料299> |
- 『大阪市パノラマ地図』
- (『大大阪パノラマ地図』大正13年の復刻版)
〜「中之島付近」 平成3年 ワラジ ヤ出版
|
<378-1417> |
『昭和の大阪』 〜「府立図書館」 昭和4年 朝日新聞社 |
<X291-256N> |
- 『明治・大正 大阪百景』
- 〜「堂島川の大江橋と新緑風景」 野村廣太郎画 昭和53年 保育社
-
|
<328-759> |
- 『明治大正図誌 大阪』
- 〜「雪の大阪」(昭和3年池田遙邨画) 昭和53年 筑摩書房
-
|
<326-921> |
- 『ふるさとの想い出写真集明治・大正・昭和大阪下』
- 〜「水に浮かぶ中之島公園」 「中之島公園の中心部」「中之島の大阪ホテル」「中之島公会堂」 昭和61年 国書刊行会
|
<216.3-201N> |
- 『写真集おおさか100年』
- 〜「淀屋橋の風景・四点」 「公会堂からの昭和61年、昭和4
年頃、明治33年頃のパロラマ写真」 昭和62年 サンケイ新聞社
|
<A216-867N> |
- 『写真で見る大阪市100年』
- 〜「水晶橋と大阪控訴院」 「日本銀行大阪支店と淀屋橋」 平成元年(財)
大阪都市協会
|
<328-1909> |
『赤レンガの公会堂』 〜「中之島全景」 平成2年 全日本写真連盟関西本部 |
<526.3-3N(2)> |
以下は絵はがき
『大阪風景を輯めて』 〜「大阪中之島公園」 昭和はじめ |
<378-943> |
『大阪名所絵葉書』 〜「難波橋」 明治末期-
昭和 |
<378-1085> |
『大阪名所絵葉書帖』 〜「肥後橋畔朝日新聞社」 大正中期-
昭和初期 |
<373-83> |
- 『大阪絵葉書帖』
- 〜「中央公会堂府立図書館市庁舎の美観」 「大阪市庁と堂島ビルディング」「大阪中之島公園地」 出版年不明
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<ぬ-180> |
中之島略年表・明治から平成へ
明治11年 |
中之島・常安町に大阪書籍館(公立図書館)開館(明治21、廃止) |
12年
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中之島・常安町に大阪公立病院(後の阪大病院)開院
豊国神社、中之島に落成(昭和36年大阪城内に遷座)
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18年 |
朝日新聞社、西区から中之島に移転 |
24年 |
中之島公園開設 |
28年 |
中之島公園で日清戦争将兵がいせん祝賀開催
中之島の翠柳館(能舞台)でビール会が開かれる(大阪で最初のビアホール)
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29年 |
中之島・玉江町に大阪工業学校(阪大工学部の前身)設立 |
36年 |
日銀大阪支店完成
大阪ホテル開業(現在の東洋陶磁美術館の設置。大正13年、焼失
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37年 |
大阪図書館(現中之島図書館)開館 |
38年 |
中之島公園で奉天占領の大阪市主催祝賀会 |
41年 |
大阪市電、梅田〜恵美須町間開通(中之島を初めて市電が走る。昭和38年廃止 |
大正4年 |
難波橋架け換え完成、ライオン像設置 |
7年 |
現中央公会堂完成 |
10年 |
旧大阪市庁舎完成
中之島公園で大阪で最初のメーデー開催
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12年 |
中央公会堂でウィーンのヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーの演奏会 |
13年 |
中央公会堂で高橋是清、犬養毅、加藤高明、尾崎行雄の護憲演説会 |
14年 |
中央公会堂で全国水平社第四回大会開催 |
昭和8年 |
梅田〜心斎橋間地下鉄開通 |
11年 |
中央公会堂でロシアのバス歌手、フェオドール・シャリアピンの演奏会 |
12年 |
御堂筋完成
中之島公園で南京陥落祝賀のちょうちん行列
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16年 |
中央公会堂で大政翼賛会、第一回市協力会議開催 |
18年 |
文科系学徒、中之島公園で出陣学徒壮行会、分列行進 |
25年 |
中央公会堂で湯川秀樹博士帰国講演会 |
30年 |
大阪市役所屋上に「みおつくしの鐘」が取り付けられる
中央公会堂でヘレン・ケラー女子歓迎講演会
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33年 |
フェスティバルホール開館 |
35年 |
住友病院本館完成 |
37年 |
阪神高速道路の建設始まる |
40年 |
ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)開業
中央公会堂で世界初の女性宇宙飛行士、テレシコワ・ニコラエフ歓迎集会
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45年 |
御堂筋など一方通行になる |
47年 |
中之島を守る会結成
野外音楽堂完成
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48年 |
第一回中之島祭り |
49年 |
中之島図書館、国の重要文化財に指定される
日銀大阪支店の外観保存発表
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50年 |
中之島二丁目の三井物産ビルで爆破事件 |
54年 |
関西歌舞伎の「船乗り込み」復活(中之島〜道頓堀) |
55年 |
中之島公園バラ園完成 |
57年 |
第一回大阪女子マラソン(長居陸上競技場スタート・ゴール、市役所前折返し)
大阪市立東洋陶磁美術館開館
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58年 |
第一回御堂筋パレード開催
大阪水上バス運行開始
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61年 |
現大阪市役所庁舎完成 |
平成1年 |
大阪市立科学館開館 |
5年 |
阪大医学部移転完了 |
8年 |
大阪国際会議場(仮称)建設開始(平成12、完成予定) |
11年 |
中央公会堂保存再生工事開始 |
※ 『大阪市史』『近代大阪年表』『北区史』『中央公会堂の歩み』などにより作成
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