明治32年10月に、青木月斗創刊の『車百合』が、大阪初の俳誌と云われています。
これは、大阪の金尾文淵堂が出した文芸誌『ふた葉』に投句し始めた俳人たちが、青木月斗を中心に、三日月会を結成して創刊したものです。
しかし、順調にゆかず、折から『ホトトギス』の編集に携わっていた、松瀬青々が、帰阪したのを機に、『車百合』の万事を依頼してとのつもりが、青々は、明治34年3月『寶船』を創刊しました。こののち、大正時代になると、5年2月『からたち』(青木月斗主宰)、8年4月『下萌』(水落露石主宰)、9年4月『同人』(青木月斗主宰)、11年12月『山茶花』(野村泊月雑詠選者)、15年2月『早春』(永尾宋斤主宰)と、活発になりました。
一方、大阪の川柳誌の嚆矢は、明治39年6月に小島六厘坊創刊の『葉柳』のようで、大正時代になると、2年1月『番傘』(関西川柳社)、4年8月『雪』(川上日車他)、8年6月『後の葉柳』(同)、13年2月『川柳雑誌』(麻生路郎主宰)、13年3月『大大阪』(本田渓花坊主宰)と続きます。
展示資料は、大正時代を中心に紹介しています。
展示資料
明治・大正時代に創刊の俳句雑誌
「寶船」 4巻2号 |
明治36年12月 |
雑−126# |
「倦鳥」 1巻1号 |
大正4年11月 |
雑−126# |
「林表」 1巻1号 |
大正14年7月 |
雑−126# |
「同人」 創刊号
2巻4号 |
大正9年4月
大正10年4月 |
雑−273#
雑−273# |
「東風」 132号 |
昭和8年5月 |
雑−215# |
「山茶花」5巻13号
6巻2号 |
昭和2年12月
昭和3年 |
雑−698#
雑−698# |
「山茶花」8巻1号
10巻2号 |
昭和28年1月
昭和30年2月 |
雑−698#
雑−698# |
大正時代に創刊の川柳雑誌
「川柳番傘」 10巻
11巻 |
大正10年
大正11年 |
雑−545#
雑−545# |
「川柳雑誌」 3巻
4巻 |
昭和元年
昭和2年 |
雑−561#
雑−561# |
「大大阪」 1の1
1の7(7号)
2の2(12号)
(33号) |
大正13年3月
大正13年9月
大正14年2月
大正15年11月 |
378−619#
378−619#
378−619#
378−619# |
<参考文献>
- 「大阪の俳人たち」1〜5
- 大阪俳句史研究会編 和泉書院 1989〜1998
225−1165# 911.36−197N
-
「関俳連25年史」
- 25年史刊行委員会編 関西俳句雑誌連盟事務局 1984
226−991#
- 「現代俳句結社要覧」
- 大野雑草子 東京四季出版 1991 911.36−255N
-
「俳諧雑誌総合目録」平成7年6月現在
- 愛媛県立図書館 911.36−615N
-
「道頓堀の雨に別れて以来なり−川柳作家・岸本水府とその時代」上・下
- 田辺聖子著 中央公論社 1998 911.46−71N
- 「川柳総合事典」
- 尾藤三柳編 雄山閣 1984 229.4−317#
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