木村蒹葭堂は、元文元年(1736) 生まれ、通称を坪井屋吉右衛門と言い
父の代から大坂の北堀江北詰(大阪市西区)で、造り酒屋を営む町人であ
った。酒造業のかたわら、本草家、博物学者、古今東西の文物収集家、蔵書家として、また詩文、書画、煎茶などをたしなむ文人、博学多才の人と
して大坂のみならず、諸国に知られていた。
蒹葭堂の当時最高の知識や所蔵するコレクションを求めて、大坂はもとより遠国からも、様々な文化人が蒹葭堂を訪問した。日々の往来を書き留
めた『蒹葭堂日記』は、現存する20年間の分だけでも、のべ9万人以上の人名が現れており、彼をとりまく交友関係がいかに広いものであったかを
示すものとして注目されている。
蒹葭堂は幼児期は病弱で、父の導きで草木花樹に親しみ、本草学を津島桂庵、小野蘭山に学び、多くの同学と交わって標本収集に努めた。絵画は僧鶴亭、池大雅らに就き、篆刻は高芙蓉に学んだ。詩文は片山北海に学び宝暦8年(1758)頃より定例詩文会を催し、混沌社の基礎を作った。
寛政2年(1790) 、55才の時、規則よりも多くの酒を製造した咎により
伊勢長島の川尻村に隠退、その後2年余り後に帰阪し、船場呉服町で文具商を営んだ。蒹葭とは芦のことで、邸宅の庭の井戸から現れた芦に因む。
享和2年(1802) 1月 25 日に67才で没したので、平成13年は、200年忌にあたる。菩提寺は天王寺区の大応寺。
蒹葭堂については、古くより研究されているが、今回は当館所蔵で、明治以降に発行された研究書、展示目録、複製・翻刻、蒹葭堂が登場する小説を紹介する。他にも多くの資料が存在するので、この一覧は単に一部である事をお断りしておく。(○印のみ展示)
I 研究書(図書)
・ 『いまに生きる なにわの人びと』 朝日新聞社編・発行 昭和38 351-1765#
「木村蒹葭堂」 107 〜110P
・ 『江戸時代上方の地域と文学』 宗政五十緒編 同朋舎出版 平成4 <龍谷大学仏教文化研究叢書2
>
「木村蒹葭堂の博物館」 土井順一 123
〜135P 910.25-8N
・ 『大阪学講座 なにわを築いた人々』 大阪市・(財)大阪都市協会編・発行 〔平成4
〕 281.6-10N
「木村蒹葭堂」 水田紀久 109 〜119P
○ 『大阪府立図書館蔵 稀書解題目録』 大阪府立図書館編・発行 昭和38 015-573#
116P(口絵11P 後ろ姿の肖像) 原本「浪華煎茶大人集」は当館貴重書。
・ 『和蘭医書の研究と書誌』 宮下三郎著 井上書店 平成9 490.9-152N
「木村蒹葭堂所蔵の『マラバル本草』」 59〜68P
・ 『学芸の大阪』 足立巻一著 編集工房ノア 昭和61
221-1425#
「町人学者蒹葭堂」 104 〜115 P
「羽間文庫のこと」 116 〜126P
・ 『上方風雅信』 肥田晧三著 人文書院 昭和61 216.3-142N
「蒹葭堂日記献本法要」167 〜171P
『蒹葭堂日記』の復刻を記念して、菩提寺である大応寺で昭和47年
4月29日に営まれた献本法要 についての記述。
○ 『木村蒹葭堂をめぐる医家たち』 1 〜7 中野 操著 「医譚」復刊 昭和34〜39
351-1791#
『蒹葭堂日記』を検討して彼をめぐる医家達を拾い出し、大坂文化の一端を明らかにするという意図でまとめられた。『蒹葭堂日記』を見て、名前だけで医家と分かることが、先決であり、近世大坂の医家にくわしい著者ならではの研究である。
○ 『木村蒹葭堂のサロン』 中村真一郎著 新潮社 平成12 289.1-2719N
木村蒹葭堂研究書の最新版で、700ページを越える大作。
蒹葭堂の博識とコレクションを求めて、多くの文化人が出入りし、知的文化交流の場、サロンが形成されたことに焦点をあてて描く。
○ 『木村蒹葭堂の蘭学志向』 1 語学・本草学を中心に 瀧川義一著 科学書院 昭和60 352-10345#
蒹葭堂の業績を「語学」と「本草学」に分けて、詳述する。
○ 『木村蒹葭堂貝石標本 江戸時代中期の博物コレクション
』 大阪市立自然史博物館編・発行 昭和57
606-1#
「大阪市立自然史博物館収蔵資料目録 第14集」
昭和44年に、京都大学理学部地質学鉱物学研究室で発見され、重要文化財に指定されている蒹葭堂の貝石標本を紹介したもの。
・ 『共同研究 秋成とその時代』 高田 衛編 勉誠社 平成6 910.25-3N
「蒹葭堂という世界」 水田紀久 69〜84P
『蒹葭堂日記』や書簡等により、秋成と蒹葭堂との交流関係を考証したもの。
・ 『郷友集 近世浪華学芸談』 水田紀久著 近代文芸社 平成8 281.6-27N
「遠来の客」 7 〜35P
「木村蒹葭堂に贈る 葛子琴の長律一首」
37 〜57P
「蒹葭堂という世界」 59 〜83P
「中井竹山と木村蒹葭堂」 85 〜99P
・ 『近世大阪芸文叢談』 大谷篤蔵編 大阪芸文会 昭和48
051-257#
「蒹葭堂会始末」 野間光辰 1 〜24P
「蒹葭堂会」は、宝暦8 年頃に始まった蒹葭堂を会主とする、読書、作文の会である。
この会は、宝暦14年頃まで続き、やがて片山北海主宰の混沌社に受け継がれて、大坂の詩壇の中心となって発展した。
・ 『近世雅人伝』 上巻 湯川玄洋著・発行 昭和5 351-310
「木村巽斎 蒹葭堂」 100P〜105P
「見聞を弘めんとするものは、必ず先づ浪華の地を踏み、蒹葭堂の門を潜って、其の志を成すべく、主人の声咳に接するを光栄とした。」とある。
○ 『近世浪華学芸史談』 水田紀久著 中尾松泉堂書店 昭和61
328-1519#
「木村蒹葭堂」 220 〜 224P
「忙裡偸閑の人」 225 〜 237P
「聞人蒹葭堂」 238 〜 260P
「蒹葭堂自伝」 261 〜 266P
「蒹葭堂自伝と上田秋成作あしかひのこと葉」 267
〜 300P
「千客万来」 301 〜 304P
「谷文晁筆『蒹葭堂図』私見」 305 〜
312P
「近世大坂における代表的町人学者」 313
〜 322P
「蒹葭堂来翰二通」 323 〜 334P
「煎茶席に見る近世文人の書」 335 〜
346P
「蒹葭堂賛」 347 〜 349P
・ 『金蘭短期大学研究誌20号記念国文科輓近論文集』 金蘭短期大学国文科編・発行 平成2 910.4-106N
「遠来の客」 水田紀久 25〜42P
○ 『蒹葭堂小伝』 高梨光司著 高島屋蒹葭堂会 大正15
352-302
蒹葭堂125 年忌の記念出版として発行され、年表、家系、業績、師友等を集大成したもので、蒹葭堂を研究する人にとってのバイブルとも言える貴重な資料である。菅楯彦筆の「蒹葭堂肖像」及び谷文晁筆「蒹葭堂之図」あり。当館の初代館長、今井貫一が、序文の筆を執っている。
○ 『彩色江戸博物学集成』 平凡社 平成6 460.2-5N
「木村蒹葭堂」 種村季弘 121 〜 133P
蒹葭堂の貝類標本が美しいカラーで紹介されている。
・ 『実学史研究』10 実学資料研究会編 思文閣出版 平成6
402.1-210N
「蒹葭堂遺物『物印満植物図』をめぐって」 瀧川義一
47 〜68P
・ 『新村出全集』9 新村 出著 筑摩書房 昭和47
034-309#
「蒹葭堂の一遺著について」 519 〜529
P
昭和3年5月「大阪府立図書館長今井貫一君在職二十五年紀年講演集」とあり、当館設立25周年・今井館長在職25年記念講演会での新村出氏の講演を収録したもの。内容は、東京帝国大学の一室で見たが、その後大震災で消失した蒹葭堂自筆の小さな写本『蘭音類聚』について、新村氏のノート6Pに記録された情報についての貴重な文章。
『蘭音類聚』は、蒹葭堂の蘭学知識を分類して、百科全書風にした小本。
・ 『東西文芸評伝』 高安月郊著 春陽堂 昭和4 210-65#
「秋成と蒹葭堂」 53〜60P
秋成が蒹葭堂宅を訪れて、ふたりが面白おかしく会話をかわしている姿を描いている。
・ 『読書雑記』 〔正篇〕続篇 高梨光司著 042-471#
「蒹葭堂版に就て」 〔正篇〕 21〜27P 伊藤一男発行 昭和6
「読書家と愛書家 江村北海と木村蒹葭堂」 〔正篇〕 28〜31P 伊藤一男発行 昭和6
「蒹葭堂研究」 〔正篇〕 161 〜162P 伊藤一男発行 昭和6
「蒹葭堂日記」 〔正篇〕 163 〜165P 伊藤一男発行 昭和6
「文化人としての蒹葭堂」 続篇 46〜56P 高梨光司発行 昭和7
・ 『なにわ人物譜』 藤本 篤著 清文堂出版 昭和59 351-2649#
「博学多才 木村蒹葭堂」 113 〜115 P
冒頭に言う「博学多才という語は、この人のために用意されたのではないか」
・ 『なにわ町人学者伝』 谷沢永一編 潮出版社 昭和58 351-2585#
「木村蒹葭堂」 谷沢永一/筒井之隆 29〜38P
蒹葭堂について「百科全書的な学風、近代への隠れた貢献」と題して、蒹葭堂自身が所蔵の資料を秘蔵するのではなく、広く公開したことによって、他の学者達を刺激威奮させ、彼に続く時代の近代的学風に向かって、必ずしも表面には現れないにしても、深い根底の部分で、地道に寄与した、と述べている。
・ 『日本洋学史の研究』8 有坂隆道編 創元社 昭和62 325-123#
「木村蒹葭堂所蔵の『マラバル本草』」 宮下三郎 169
〜182P
・ 『文晁遺芳』〔谷文晁著〕 恩賜京都博物館編 便利堂 昭和13 ろ-46
「木村蒹葭堂像」第 30 図
・ 『本之話』 三村清三郎著 岡書院 昭和5 018-25#
「蒹葭堂日記」 127 〜 128P
・ 『森銑三著作集』 森 銑三著 中央公論社
正編5 「大坂の生んだ博物学者木村蒹葭堂」 386
〜 390P 昭和46 034-299#
続編2 「蒹葭堂の手紙」 34 〜 438P 平成4
081.6-23N
II 研究書(雑誌・逐次刊行物)
・ 『大阪史談』 復刊第二冊 大阪史談会 昭和32 328-59#
「蒹葭堂の『薩州蟲品』」 矢野宗幹 口絵〔1
〜6 P 〕,1 〜 6P
「蒹葭堂日記を読む会の想ひ出」 野間光辰 19〜20P
「蒹葭堂研究会楽屋話と蒹葭堂日記」 後藤捷一 20〜24P
「木村蒹葭堂百五十年忌展観目録」 後藤捷一編 山田憲太郎記 24〜28P
・ 『大阪春秋』 大阪春秋社 雑−2499#
第4 〜9 号 「木村蒹葭堂と蘭学者たち」(1)〜(6) 中野 操 昭和46〜51
第 20 号 「木村蒹葭堂邸跡周辺と市立中央図書館」 小西義麿 42〜45P
昭和54
第 36 号 「木村蒹葭堂と尾崎雅嘉」 管 宗次 138
〜143 P 昭和58
○第 48 号 「大阪の絵画と画人」 武田恒夫 口絵1P,15〜28P 昭和61
第 70 号 「木村蒹葭堂」 藤本 篤 37〜39P
平成5
〃 「蒹葭堂日記にみえる播州比延の人砂村童及」 梅溪 昇 40〜41P
平成5
第 73 号 「花月菴とその什物 2 花月菴本『蒹葭堂日記』」 水田紀久 94〜97P
平成5
・ 『大阪府立図書館紀要』 大阪府立図書館 099-403#
第 9 号 「寄題蒹葭堂詩文」 野間光辰 62〜79P
昭和 48
・ 『上方』 創元社 雑−468#
14 号 「文化人としての蒹葭堂」 高梨光司 30〜35P
昭和 7
32 号 「蒹葭堂の江戸行に就て」 〃 41〜43P
昭和 8
116 号 「木村蒹葭堂と阪本天山」 〃 26〜27P
昭和 15
○146 号 <蒹葭堂号> 昭和 18
表紙絵 蒹葭堂肖像 三世長谷川貞信 口絵 1〜4P
「蒹葭堂の本領」 高梨光司 2
〜 5P
「蒹葭堂と立原翆軒」 相見香雨 6
〜13P
「萍遇録より見たる蒹葭堂」 丸山季夫
14 〜18P
「蒹葭と里恭と大雅」 人見少華
19 〜28P
「秋成と蒹葭堂」 野間光辰
29 〜32P
「蒹葭と正慶尼」 林 春隆
32 〜33P
「蒹葭堂研究文献抄」 鹿田静七
34 〜36P
「蒹葭堂追遠忌法要次第」
37 〜39P
・ 『国文学年次別論文集』近世1(昭和57) 学術文献刊行会編 朋文出版 220.3-1239#
「木村蒹葭堂と真宗の一学匠」 土井順一 637
〜639P 昭和59
- ○ 『國華』 國華社 に7-1
805 号「谷文晁筆 木村蒹葭堂肖像」 吉沢 忠 108P(
解説) 109P( 図) 昭和34
973 号「 〃 筆 木村蒹葭堂住居図藁」 〃
27P( 図) 31P( 解説) 昭和49
〃 号「 〃 筆 木村蒹葭堂肖像画藁」 〃
29P( 図) 31P( 解説) 〃
「木村蒹葭堂肖像」は、蒹葭堂の大きな耳、鼻、口をあけて笑い、目尻のしわに至るまで、よく特徴をとらえており、大坂の町人らしい、ねばりのある性格までを表現している。
「木村蒹葭堂住居図藁」は、蒹葭堂宅を谷文晁が描いたもの。蒹葭堂が生まれた北堀江の邸宅ではなく伊勢に隠棲して、その後帰阪してからの仮住居と見られる、と吉沢氏は解説している。
一方『近世浪華学芸史談』の「谷文晁筆『蒹葭堂図』私見」では、水田紀久氏は実景ではなく、理想図ではないかという意見。
「木村蒹葭堂肖像画藁」は、色彩はなく荒いスケッチ風に描かれており、「肖像」の下図とみられる。左の欄外に享和2年1月28日に遺族から蒹葭堂死去の知らせがあり、肖像を描くように依頼された経緯が書かれている。
・ 『混沌』 混沌会編 中尾松泉堂書店 雑-3064#(13
号まで) P91-83N(19 号)
創刊号 「蒹葭堂日記復刻完成奉告 墓前祭」 45P 昭和49
〃 「御挨拶」 羽間平三郎 46P 昭和49
〃 「御挨拶」 野間光辰 47〜51P 昭和49
〃 「蒹葭堂日記復刻完成を祝して」 松尾一夫 51〜54P 昭和49
〃 「蒹葭堂日記を読む会の想い出」 後藤捷一 54〜58P 昭和49
〃 「医学史研究資料としての蒹葭堂日記」 中野 操 58〜66P
昭和49
〃 「遺墨遺品展観目録」 67 〜72P 昭和49
2 号 「蒹葭堂旧蔵『写本目録』」 国井邦子
20〜23P 昭和50
3 号 「蒹葭堂版」『毛詩指説』」 (紀)
8P 昭和51
4 号 「蒹葭堂日記本文正誤表」 水田紀久/山本 幸
65 〜72P 昭和52
5 号 「蒹葭堂の手紙」 松井千代子
21P 昭和53
6 号 「蒹葭堂来書翰二通」 水田紀久
13 〜17P 昭和56
13 号 「木村蒹葭堂尺牘」 水田紀久・松川由美
5 〜15P 平成 1
19 号 「木村蒹葭堂の家族と履歴について」 有坂道子 11〜21P
平成 7
・ 『書物展望』 復刻版 第4巻下 臨川書店 昭和 59復刻 雑-472#
40 号「木村蒹葭堂」 高梨光司 12 〜 14P 昭和 9
・ 『新潮』 新潮社 雑−540 P91-47N
「木村蒹葭堂のサロン 第一部」 中村真一郎 (1)〜(25)1995.1月〜1997.4月
「木村蒹葭堂のサロン 第二部」 〃 (1)〜(
9)1997.6月〜1998.3月
・ 『大建協』 大阪建設業協会 雑-2298#
488号「大阪の町人学者 木村蒹葭堂」 宮下三郎
30 〜 33P 平成 1
・ 『難波津』 だるまや書店 雑−687#
4 〜5 号「木村蒹葭堂 上・下」 楓 處子 大正13
・ 『日本美術工芸』 日本美術工芸社 雑-1345#
457 号「木村蒹葭堂 画家の手紙 10」 多治比郁夫 94〜97P
昭和51
・ 『歴史地理』 日本歴史学会 雑-114#
21巻 3、4 号「木村蒹葭堂」 鎌田春雄 大正2
・ 『歴史と人物』 中央公論 雑-2446#
135 号「木村蒹葭堂の古代学」 田村利久 222
〜228P 昭和57
・ 『和菓子』 虎屋・虎屋文庫編 黒川光博発行 記号未定
7 号「大坂の和菓子屋繁盛記 −木村蒹葭堂の『諸国板行帖』を中心に−」 大島新一
8 〜25P 平成12
III 展示目録等
・ 『木村蒹葭堂関連展覧会の歴史 図書館ものがたりその2
』 岡村敬二編
平成8 年 12 月3 日〜 27 日開催の大阪府立中之島図書館小展示会の展示リスト
○ 『蒹葭堂遺物』 1〜3 谷上隆介編 高島屋蒹葭堂会 大正15 645-50
1.(禽譜) 2.(奇貝図譜) 3.(植物図譜)
蒹葭堂125 年忌を記念して400 部限定で発行されたもの。
後記に高島屋が、蒹葭堂の先覚を祭祀し、その遺芳を表彰することを提唱したところ、村山龍平、関一等著名人の熱誠なる賛助を得たとあるが、その中に当館初代館長、今井貫一の名もあがっている。
○ 『蒹葭堂遺墨遺品展覧会出品図録』 高島屋蒹葭堂会 大正15 905-51#
大正15年開催の蒹葭堂125 年忌の遺墨遺品手展覧会の展示品114
点すべてを、写真入りで紹介したもの。
○ 『蒹葭堂誌』 鹿田静七編 鹿田松雲堂 明治34 352-204
明治34年の蒹葭堂100 年忌を記念して発行されたもの。「蒹葭翁追薦遺墨展観目録」と趙陶斎、中井積善らが蒹葭堂について述べた文章を収める。
追薦会では、蒹葭堂の故宅にある堀江の井戸から蒹葭水を汲んで供し、また蒹葭堂の遺墨、遺品を展示した。
・ 『摂政宮殿下御成婚に付贈位の御沙汰を蒙り給ひし 郷土先賢略伝』 大阪府立図書館 大正13 館資料214
「木村孔恭」5 丁オ、ウ
皇太子御成婚に際し、故人功労者(大阪府内で8
人)に贈位があり、蒹葭堂もその一人で従五位を賜った。この贈位を記念して、当館でこの8
人の著書、遺物の展示会が開催された。各氏の略伝を纏め
、最後に当館の展覧会目録(乃木宗54 付録)
を付したもの。
IV 復刻・翻刻
○ 『木村蒹葭堂資料集』 校訂と解説(1) 瀧川義一/佐藤卓弥共著 蒼土舎 昭和63
352-11563#
『蒹葭堂雑誌』『蒹葭堂魚譜・珍魚図』『書翰類』の三種について、その影印と翻刻をのせる。
○ 『蒹葭堂日記』 野間光辰監修 水田紀久編 蒹葭堂日記刊行会発行 昭和47
352-7125#
羽間文庫(大阪市福島区海老江)に所蔵する『蒹葭堂日記』の翻刻とくわしい解説及び膨大な索引を付す。
○ 『複製 蒹葭堂日記』1〜5 解説 野間光辰監修 水田紀久編 蒹葭堂日記刊行会 昭和47
352-598
羽間文庫(大阪市福島区海老江)に所蔵する『蒹葭堂日記』5
冊、18年分は、蒹葭堂44才の安永8年から67才でなくなる享和2年、息をひきとる15日前の正月10日まで、自身の筆で整理記入されたもので、これはその複製。
○ 『花月菴蔵 蒹葭堂日記』 [1〜2] 解説 水田紀久編 蒹葭堂日記刊行会 昭和59
352-642
花月菴(煎茶花月菴流家元田中香坡氏宅)で発見された寛政11、12年の2
年分を複製したもの。煎茶の嗜みが深かった蒹葭堂の日記が、蒹葭堂二世によって花月菴に譲られことは興味深い。
○ 『遡遊従之』 大阪府立図書館 <大阪資料叢刊 1> 昭和46
650- 31#
銅座役人として1 年間在坂した大田南畝(蜀山人)は、業務の余暇にしばしば蒹葭堂を訪問し、蒹葭堂の博識と風格に魅せられた。この『遡遊従之』は、南畝が質問し、蒹葭堂がそれに答えた問答集でそれぞれの自筆。当館に所蔵する原本の複製で、巻末に解説(多治比郁夫)を載せる。
○ 『日本随筆大成』 第1期 14 日本随筆大成編輯部編 吉川弘文館 平成5
914.5-10N1-14
「蒹葭堂雑録」 暁 鐘成編 松川半山画 1
〜 161P <翻刻> 森徹山筆の蒹葭堂肖像あり。
V 蒹葭堂が登場する小説
○ 『負けてたまるか 大坂蘭学の始祖・橋本宗吉伝』 柳田 昭著 関西書院 平成8 913.6-7006N
江戸の大槻玄沢に学び、大坂に帰ってから蘭学塾を開いた橋本宗吉(曇斎)の伝記である。この中に宗吉より27才年長の蒹葭堂が、町人学者の先輩として所々に登場している。
45P では、蒹葭堂宅を訪問した際、芳名録に記帳するよう求められたことが書かれている。
○ 『奴の小万と呼ばれた女』 松井今朝子著 講談社 平成12
913.6-14317N
「奴の小万」とは、大坂の薬種問屋木津屋の娘、お雪(三好正慶尼)のことで、その型破りな生きかたが語り種となり、文楽、歌舞伎などの舞台で現在でも登場し続けている。
この小説の中で、まだ19歳の蒹葭堂が薬種問屋の新年会でお雪と出会い、その後蒹葭堂の結婚式に出席したり、お雪が画師柳沢棋園に師事するために、蒹葭堂が橋渡しするなど交流の場面が描かれている。「上方」146
号に林春隆氏の「蒹葭と正慶尼」が載る。
以上
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