第77回「べっぴんさんへの道」へ  第79回続「大阪の博覧会」展へ
第78回大阪資料・古典籍室小展示
平成19年7月13日(金)〜平成19年9月12日(水)  (入場無料)


>>PDF版はこちら(364KB)  

大阪の相撲展

『摂津名所図会』より難波新地での勧進相撲の様子
『摂津名所図会』より難波新地での勧進相撲の様子
  かつて、江戸相撲に対して、大坂相撲というものがありました。
京坂は、江戸時代、町人の豊富な経済力を背景として、いちはやく勧進興行が定着した〈大相撲〉の発祥の地です。そこでは全国から集まった強豪力士による取組が人気を博し、町の風物詩となったほか、力士の姿は浄瑠璃や玩具などにも描かれました。
今回は、大阪のものを中心に、相撲関係の資料をご紹介したいと思います。
A 大坂の相撲風景

その昔、単純な力比べとして始まった相撲は、朝廷の相撲節による様式化を経て、中世には、相撲を業とし諸国の寺社で祭礼相撲などをつとめる職人としての相撲人が誕生したと言われています。近世になると、相撲見物が一般の人々の間でも娯楽として広まり、神社での奉納相撲や、新地開発のための勧進相撲が盛んになり、やがて相撲取自身の渡世のための営利興行も行われるようになりました。
大坂では、元祿14年(1702)に堀江新地、明和2年(1765)に難波新地での勧進相撲が許可されて以降、その二ヶ所で交互に催されました。18世紀末には、江戸相撲の勃興にともない、毎年冬と春に江戸、夏前後に大坂と京都で周期的に開催されるのが恒例となります。
また、神社では奉納相撲が行われました。一方、町中での辻相撲は喧嘩口論の元となることから、幕府の禁令がたびたび出されていたにも関わらず、変わらず行われていました。
 近世の地誌類や物語などから、相撲の風景を紹介します。

1 『摂津名所図会』(せっつめいしょずえ) 1-10巻 秋里籬島著 皇都 小川太左衛門 寛政10(1798) 12冊 【当館請求記号378-634】
巻四の挿絵:難波新地で行われた勧進相撲の様子。

2 『(摂津国第一宮)住吉名勝図会』(せっつのくにだいいちのみやすみよしめいしょうずえ) 1-5 秋里籬島著 江戸 西村源六 寛政6(1794)
『住吉名勝図会』より相撲会の様子
『住吉名勝図会』より相撲会の様子
 5冊 【378-636】
巻二の挿絵:住吉大社で毎年9月13日に行われた相撲会の様子。

3 『河内名所図会』(かわちめいしょずえ) 巻1-6 秋里籬島 大阪 高橋平助 享和元(1801) 6冊 【378-700】
巻五の挿絵:河内一宮枚岡社の相撲。

4 『日本山海名物図会』(にほんさんかいめいぶつずえ) 1-5 平瀬徹斎撰 長谷川光信画 大坂 山本長平衛 寛政9(1797)5冊 【802-18】
巻一の挿絵:金山銀山にある山神宮の祭りの様子。「まつりの日は京大坂より芝居見世物などを取よせ、いとにぎやかにいはひまつることなり」とある。

5 『本朝二十不孝』(ほんちょうにじゅうふこう) 1-5 井原西鶴 米山堂 昭和16(1941) (稀書複製会刊行書)【255.3-36】
二十の親不幸話のうちのひとつ「無用の力自慢」の挿絵。「無用の力自慢」は、親の意見も聞かずに相撲に熱中する高松の両替屋の息子の話である。


B 番付と勝負付

江戸の番付が、現在の我々が相撲番付と聞いて思い浮かべる「縦一枚番付」と呼ばれる形式だったのに対して、大坂では近世を通じて、横長二枚の紙に東西の力士を別々に記す「横長番付」が作られました。また、毎日の勝ち負けを伝える「勝負付け」も出されました。

『大坂相撲番附』
『大坂相撲番附』
6 『大坂相撲番附』(おおさかずもうばんづけ) 刊 5帖 
宝暦14年(1764)より安政6年(1859)に至る番附(93枚)の貼込帖 【朝日989.1-2】

7 『(大坂難波新地)勧進相撲勝負付』(おおさかなんばしんちかんじんずもうしょうぶづけ) 大坂 万右衛門 天保3(1832) [16枚] 天保三年九月中旬八日間 【989.1-20】

8 『大阪大角力勝負付帖』(おおさかおおずもうしょうぶづけちょう) 3冊
 内容:[1]天保7年(1836)9月11日初日、[2]弘化2年(1845)7月吉日、[3]安政5年(1858)6月、安政6年7月 【989.1-2】


C 大阪国技館

江戸時代後期以降、将軍の上覧相撲などを経て人気沸騰した江戸相撲に対し、徐々に中心の座を奪われていった大坂相撲は、明治に入ると、力士の契約条件をめぐる紛争や力士の脱退が相次ぎ、人気に陰りが見えるようになりました。大正8年(1919)には新世界に大阪国技館が完成し、晴雨問わず繰り広げられる取組にファンは熱狂しましたが、東京相撲との実力の差が開いていたこともあり、大正14年に大阪相撲協会は、東京相撲協会に吸収される形で合併し、大阪相撲の歴史は幕を下ろしました。
『大阪名所絵葉書』より大阪国技館絵葉書
『大阪名所絵葉書』より大阪国技館絵葉書


9 『大阪名所絵葉書』72 [出版社不明] [明治末-昭和] 【378-1085#】
10 『大大阪』英文大阪毎日学習号編輯局特輯、大阪出版社、1925 【378-577#】

D 相撲の解説書等

11 『相撲の図式』(すもうのずしき) 米山堂 昭和4-5(1929-1930) 6冊 折本 (稀書複製会第六期刊行書) 復刻 版年不明 【989.1-8】
12 『相撲隠雲解』(すもういんうんかい) 式守伊之助(蝸牛)撰 寛政5(1793) 【989.1-10】
13 『相撲起顕』(すもうきけん) 三河屋治右衛門(含翁) 蔦屋吉蔵 天保13(1842) 4冊 【989.1-12】
14 『相撲金剛伝』(すもうこんごうでん) 2編巻上下 立川焉馬著 歌川国安画 江戸 西村屋與八 文政11(1828)2冊 【朝日989.1-1】
15 『角觝秘記』(すもうひき) 写本 【989.1-16】
16 『(古今)相撲大要』(ここんすもうたいよう) 岡敬孝編 報行社 明治18(1885) 【989.1-6】
17 『三ヶ津大相撲古今大男集』 (さんがのつおおずもうここんおおおとこよせ) 文化12(1815)(『保古帖』(ほごちょう)巻13所収【甲雑58】)
18 『三ヶ津大相撲故実由来書』(さんがのつおおずもうこじつゆらいがき) (『保古帖』(ほごちょう)巻13所収【甲雑58】)
19 『大坂相撲由来之事』(おおさかずもうゆらいのこと) 写 1冊 【989.1-22】


E 相撲取が登場する浄瑠璃

相撲取は、浄瑠璃や芝居にも描かれました。
《双蝶々曲輪日記》(ふたつちょうちょうくるわにっき)
竹田出雲(二世)・三好松洛・並木千柳合作。寛延2年(1749)竹本座で初演。人気力士濡髪長五郎と素人相撲放駒長吉の二人の相撲取の義理人情の物語。
20 『国立文楽劇場 第80回文楽公演』国立文楽劇場事業課編、日本芸術文化振興会、2000 【777.1-62N】

《関取千両幟》(せきとりせんりょうのぼり)
近松半二・三好松洛・竹田文吉・竹田小出・八民平七・竹本三郎兵衛合作。
明和4年(1767)竹本座で初演。当時大坂で人気のあった稲川・千田川という二人の力士をモデルに、「双蝶々曲輪日記」を翻案したもの。
21 『文楽 文楽公演のプログラム』昭和50年6月、文楽協会 【976-259#】 


F そのほかの資料

22 『浪花風俗図譜』(なにわふうぞくずふ) 長谷川貞信(三世)原画 岸和田 和泉文化研究会 昭和39(1964) 【571-102】
『人魚洞文庫』巨泉玩具帖より大阪の角力人形
『人魚洞文庫』巨泉玩具帖より
大阪の角力人形

長谷川貞信が描いた江戸時代の関取と弟子の姿。

23 『浪花風俗図絵』(なにわふうぞくずえ) 長谷川貞信(三世) 大阪杉本書店 昭和43(1968) 【571-90】
明治~戦前の勝負付け売り。

24 谷風梶之助、小野川喜太郎掌形(『保古帖』(ほごちょう)巻1所収【甲雑58】)

25 相撲人形・起上がり・毛人形(『人魚洞文庫』(にんぎょどうぶんこ)所収 川崎巨泉編画 【甲雑41】)
大正から昭和にかけて活躍したおもちゃ絵画家川崎巨泉(人魚洞)が描いた相撲玩具。



主な参考文献

 
『相撲の歴史』 新田一郎著、山川出版社、1994 【788.1-58N】
『相撲の歴史−堺・相撲展記念図録』 堺・相撲展実行委員会、1998   【788.1-99N】
『近世日本の国家権力と宗教』 高埜利彦著、東京大学出版会、1989 第一章「近世国家における家職と権威」【325-403#】
『蒙御免−大阪の相撲』 国立文楽劇場、[1995]【788.1-152N】
「明治前期の大阪相撲渡世集団」 飯田直樹著、1999.3(『歴史科学』155所収)【P20-22N】
『実記百年の大阪』読売新聞大阪本社社会部編、朋興社、1987 
p639-640「国技館づくり、東と張り合う」
【328-1641#】
『日本古典文学大辞典』 岩波書店、1983-1985 【220.2-133#】
『新修大阪市史』6 大阪市、1994  p861-864【216.3-25N】


PDFファイル  PDF版  [大阪の相撲展 364KB]
 ※PDFファイルをご覧になるには、Adobe Readerが必要です。
  Adobe Readerは、右のアイコンをクリックするとダウンロードできます。
Adobe Readerダウンロード