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第79回大阪資料・古典籍室小展示
平成19年9月14日(金)〜平成19年11月7日(水)  (入場無料)


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続「大阪の博覧会」展



 
大阪市主催大礼奉祝交通電気博覧会余興絵葉書 近代化をおしすすめた博覧会

消費文化を花咲かせた博覧会

「夢と娯楽と祭典」の博覧会

高度情報化社会の中の博覧会

  平成10(1998)年10月に特別展示「『大阪の博覧会』展」を開催しました。
今回の小展示では、9年前の特別展示で紹介できなかった資料、その後に収集した資料41点を展示します。その時代時代を反映した博覧会資料で近代大阪140年の世相をみていきます。

1 博覧会規則 堺博物館 [1877年] (606.9-141N)

 大阪で開催された博覧会のうち、当館資料で確認できる最も古い博覧会です。堺博物館が国の許可を得た上で明治10(1877)年4月10日から6月8日まで堺の南宗寺で開催しました。堺県当局は「博覧会は開智の一助ともなるので観覧するやうに」(堺市役所編纂『堺市史』第3巻本編第3 1930年 P882)との布達を出しています。
 この規則によれば、開場時間は8時から16時まで。入場料は大人3銭、学生1銭で、6歳以下の子供は無料でした。

2 堺博覧会列品目録 第三区 第四区 [出版者不明 ] 1877年 (606.9-169N)
明治10(1877)年の堺博覧会の際の出品目録のうち、第三区と第四区のものです。第三区は硯箱や漆器、香炉など、第四区は剥製や生き物のアルコールづけ、骨格が分類され、展示されていました。

3 第七回日本産業博覧会報告 日本産業協会 1915年 (天316-319#)
 大正4(1915)年4月1日から6月3日まで天王寺公園で開催されました。第1次世界大戦が勃発する中「吾国民ノ産業ニ対スル智識幼稚ニシテ、其独立ト充実ニ対スル施設極メテ不用意不完全ナルニアリキ」とし、国産奨励を通じて戦後の列国との商戦に備えて産業の改良と貿易の振興を図ることを趣旨とした博覧会でした。
 一方で、大正天皇の即位を記念した「御大典記念特別室」が設けられ、絵画の出品、福引デーを設定するなど「余興」も盛り込まれました。P62に「勧業館平面図」、P63に「美術館平面図」、P171からは新聞の批評が記載されています。
大阪化学工業博覧会報告
8.大阪化学工業博覧会報告

4〜8 大阪化学工業博覧会報告 大阪化学工業博覧会 1918年 (606.9-208N)
 第1次世界大戦によって、これまで欧米に頼ってきた化学製品が途絶し、日本でのこの分野の遅れが明白となりました。国家的事業として化学工業部門の振興が必要となり、開催された博覧会です。大正7(1918)年4月15日から6月30日まで天王寺公園で開催されました。
 これとほぼ同じ時期に東京でも化学工業博覧会が開催されています。

9 大大阪記念博覧会案内 附大大阪観光案内 大大阪記念博覧会事務局 1925年 (606.9-175N)
 大阪市の拡張(いわゆる「大大阪」の誕生)と大阪毎日新聞の15000号の発行を記念して大正14(1925)年3月15日から4月30日まで、天王寺公園と大阪城を会場に開催された博覧会です。入場者数は190万人近い大きな博覧会でした。
 この資料は大大阪記念博覧会の報告ではなく、この博覧会を機に大阪を訪れた人のためのガイドブックになっています。

10 大阪府産業工芸博覧会記念誌 大阪府工芸協会 1935年 (807-309#)
出品規程第一条に「工芸品ノ改善及工業品ノ美化ヲ図リ以テ国産品ノ振興海外輸出品ノ発展ニ資スルヲ以テ目的」と書かれており、「国産品の優良化」を図った博覧会です。大阪府立貿易館を会場に昭和10(1935)年の6月8日から6月28日まで開催されました。
 写真の大阪府工業奨励館の「工芸試作品」は何を目的に作製されたのか不明ですが、日本のロボット研究のごく初期のものかもしれません。

11 大阪市政の八年 白川朋吉著 向井章編集 1936年 (435-821#)
 著者の白川は明治6(1873)年生まれ。関西大学理事長・弁護士。大大阪が成立した大正14(1925)年の6月の市会議員選挙で当選し、市会議長に選出された人物です。
 この資料は白川が議長職にあった8年間(大正14年から昭和8年)の彼の式辞を集めたものです。その中に当時開催されていたいろいろな大阪の博覧会の開会および閉会に際して寄せた言葉が記載されています。
 ここで式辞を読んだ博覧会は以下の通りです。

電気博覧会開会式祝辞 大正15(1926)年2月3日
電気大博覧会閉会式祝辞 大正15(1926)年5月31日
キネマ劇博覧会祝辞 大正15(1926)年10月10日
交通文化博覧会開会式祝辞 昭和2(1927)年7月15日
国産振興大博覧会開会式祝辞 昭和3(1928)年9月14日(於 甲子園)
交通電気博覧会開会式祝辞(その1) 昭和3(1928)年10月1日
交通電気博覧会開会式祝辞(その2)
交通電気博覧会閉会式祝辞 昭和3(1928)年12月3日
満蒙博覧会開会式祝辞 昭和7(1932)年2月2日
満蒙大博覧会開会式祝辞 昭和7(1932)年3月10日
国産洋服博覧会授賞式祝辞 昭和8(1933)年5月21日

12・13 アメリカ博覧会 朝日新聞社 1950年 (を22)
 建国以来わずか170余年にして繁栄と民主国家を手にしたアメリカ合衆国。敗戦日本において最も関心のある国アメリカの歴史、政治、経済、教育、芸術、文化、生活を重点的に取り上げてよき参考にしよう、との意図で開催された博覧会です。昭和25(1950)年3月18日から6月11日まで阪急西宮球場で開催されました。大阪府内で開催された博覧会ではありませんが、赤間大阪府知事が開会式に出席し、万歳三唱を発声しています。
 会場内にはホワイトハウスや自動車館などのパビリオンが設けられました。

14 南洋スマラン博覧会大阪出品協会事務報告 南洋スマラン博覧会大阪出品協会 1915年 (606.9-80N)
 オランダ領インドネシアのジャワ島(蘭領東印度爪哇島)スマラン市で大正3(1914)年8月20日から11月22日で開催された万国博覧会です。
 大阪にとって南洋諸島は貿易上の得意先であり、政府とは別に出品協会を設立して、積極的に参加することにしました。会長には土居通夫が就き、監督は大阪府知事大久保利武、顧問は大阪市長の池上四郎という陣容でした。結局日本の総出品240余名中、大阪府からの出品者は90名にも及びました。

15 東亜勧業博覧会 大阪の出品 大阪協賛会 [1927年] (807-73#)
 昭和2(1927)年3月25日から5月23日まで福岡市で開催された博覧会です。「沈衰せる我産業界の前途を打開し、貿易の発展を策せん」ことを趣旨に開催されました。
 「東亜」の名の通り、南洋諸島、中国、満洲、朝鮮、台湾の物産を網羅したものでした。産業と縁の深い大阪からも、南洋スマラン博覧会の時と同様に、府、市、大阪商業会議所が協力して大阪協賛会を組織して出品を斡旋することになりました。
 この資料には出品風景、出品者一覧、大阪協賛会規則などが記載されています。

16 万国博への提案 入選作品集 朝日新聞社 1966年 (807-515#)
 万博の開催にあたって、どんな博覧会にしたいのか。どう工夫すればよい博覧会になるのか。一般市民からの提案を集めた資料です。銀賞14点、銅賞50点、佳作100点。けっして美しいとはいえない簡単な装丁ですが、世界共通の挨拶の言葉を万博を通して全世界の人々による人気投票で決めよう−提案者は「言葉のモニュメント」と呼んでいます−など、万博を前にした当時の人たちの夢や希望が綴られています。

17 万博’70出展のために -モントリオール万博資料と日本万博への提言- 国際技術協力協会 1968年 (807-277#)
 昭和42(1967)年に開催されたモントリオール万博でのパビリオンを分析した資料です。次の万博−つまり70年の大阪での博覧会−に参加する人たちへのマニュアルになることを目的に作られました。
 「T パビリオン構成についての提言」「U EXPO’67のパビリオンについて」「V 資料編」から構成されています。「ホスト・ホステスの訓練」や「迷子対策・病人対策」などについても批評を加えています。

18 日本万国博覧会 施設参加のご案内 日本万国博覧会協会 1968年 (606.9-196N)
 「施設参加」とはパビリオンによる「出展参加」ではなく、国旗掲載ポールやベンチ、くず入れなどの設備のスポンサーとしての参加をいいます。この資料は日本万国博覧会協会の資金不足などを理由に会社や団体に参加をよびかけた冊子です。
 施設参加対象施設一覧、その効果、博覧会参加者等の見込み(入場者5000万人、一日の食事量34万食など)と施設の詳細−予算と仕様・内容・特色、参加効果−が書かれています。

19・20 タイム・カプセル EXPO’70 第1回・開封の記録書 タイム・カプセルEXPO’70開封委員会事務局 2001年 (606.9-202N)
 大阪万博の際に埋められたタイムカプセルの第1回目の開封と内容物の確認作業を記した資料です。

21 万博開封 タイムカプセルEXPO’70と大阪万博 大阪市立博物館 2000年 (606.9-171N)
 タイムカプセルに収められた収納品全点の写真です。

22 NIKKEI花とぴあ 日本経済新聞 (P60-21N)
23 花トピア´90 産経新聞 (P60-22N)
24 花・ら・ん・ど 大阪新聞 (P60-23N)
25 はなろーぐ  EXPO´90 朝日新聞花の万博NEWS (P60-24N)
26 ふらわーでーと 毎日新聞特集ふらいでーと(P60-25N)
27 讀賣ふらわぁニュース 讀賣新聞 (P60-26N)

 平成2(1990)年に鶴見緑地で開催された国際花と緑の博覧会の会場で配られていた新聞です。週刊のもの、日刊のものがあり、会場の華やかさや熱気を今に伝えています。
これらの新聞は9年前の特別展示開催の際に一府民から寄贈いただいたものです。その後も所蔵している方々の協力を得て、少しずつ収集してきました。『讀賣ふらわぁニュース』については、同紙を印刷した東洋紙業株式会社より全号を寄贈していただきました。

28 大阪化学工業博覧会記念絵葉書 2枚 (606.9-257N)
29 大阪電報通信社主催 新聞博覧会記念絵葉書 2枚 (070-8N)
30 電気大博覧会記念絵葉書 2枚 (606.9-256N)
31 大阪市主催大礼奉祝交通電気博覧会余興絵葉書 1枚 (769.1-129N)
32 大礼奉祝交通電気博覧会懸賞応募入選ポスター絵葉書 5枚 (606.9-237N)


参考

 
寺下勍『博覧会強記』 エキスプラン 1987年【606.9-145N】
門上光夫「大阪府立図書館所蔵資料にみる『大阪の博覧会』」『大阪府立図書館紀要』第34号 1998年【010.5-3N】
『「大阪の博覧会」展』 大阪府立中之島図書館 1998年【606.9-135N】
『日本の博覧会 寺下勍コレクション』別冊太陽 平凡社 2005年【606.9-238N】
☆博覧会の開催およびその資料の検索・閲覧については
株式会社乃村工藝社の「博覧会資料 博覧会資料閲覧・検索」が大変便利です。
http://www.nomurakougei.co.jp/expo/


 

この小展示で紹介した大阪の博覧会


博覧会名 期  間 会  場 主  催 入場者数
堺博覧会 1877.4.10〜6.8 堺 南宗寺 堺博物館  
南洋スマラン博覧会 1914.8.20〜11.22 インドネシアジャワ島    
第七回日本産業博覧会 1915.4.1〜6.3 天王寺公園 日本産業協会 307,064人
大阪化学工業博覧会 1918.4.15〜6.30 天王寺公園 大阪商業会議所 417,926人
大阪電報通信社主催新聞博覧会 1920.3.10〜5.18 天王寺公園    
大大阪記念博覧会 1925.3.15〜4.30 天王寺公園/大阪城 大阪毎日新聞社 1,898,468人
電気大博覧会 1926.3.20〜5.31 港区八幡町/天王寺公園 社団法人電気協会 2,900,362人
キネマ劇博覧会 1926.10.1〜11.30 堺 大浜 夕刊大阪新聞社  
東亜勧業博覧会 1927.3.25〜5.23 福岡市西公園大濠埋立地 福岡市 1,603,472人
交通文化博覧会 1927.7.10〜8.31 天王寺公園 帝国交通協会  
国産振興大博覧会 1928.9.1〜11.30 甲子園 阪神博覧会協会  
大礼奉祝交通電気博覧会 1928.10.1〜12.3 天王寺公園 大阪市 1,000,872人
満蒙博覧会 1932.2.1〜2.29 大阪府立貿易館    
満蒙大博覧会 1932.4.1〜12.31 大阪城 夕刊大阪新聞社  
全日本国産洋服博覧会 1933.3.20〜4.20 大阪府立貿易館/大阪城 大阪洋服商同業組合 138,975人
大阪府産業工芸博覧会 1935.6.8〜6.28 大阪府立貿易館 大阪府・大阪市他 29,334人
アメリカ博覧会 1950.3.18〜6.11 西宮球場 朝日新聞社 約2,000,000人
日本万国博覧会 1970.3.15〜9.13 千里丘陵 日本万国博覧会協会 64,218,770人
国際花と緑の博覧会 1990.4.1〜9.30 鶴見緑地 国際花と緑の博覧会協会 23,126,934人


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